fc2ブログ

奥多摩 巳ノ戸林道、稲村岩尾根 2022.12.3

場所:奥多摩 巳ノ戸林道、稲村岩尾根
日程:2022年12月3日
メンバー:M師、bistari


12/3(土)
07:48 日原駐車場発(1:02)稲村岩尾根・巳ノ戸林道分岐(1:04)975m圏二又(1:23)鞘口のクビレ(0:45)ヒルメシクイノタワ(1:46)稲村岩尾根・巳ノ戸林道分岐(1:18)日原駐車場着 16:00


グミの滝以来のM師との山行。
今回のお題は、廃道となって久しい巳ノ戸林道。
所持している1982年発行の山と高原地図にはしっかり日原から石尾根上の巳ノ戸ノ大クビレまで実線が記載されている。
鷹ノ巣山へは稲村岩尾根コースより30分ほど余分にかかるが、尾根コースより楽に山頂にたてるコースだったという。
古くは雲取山への登路として一番楽なコースとしても紹介されている。
その後利用されることも減り、現在は廃道扱いとなり地図上からは消滅している。
ヤマレコでは遡ること1984年の記録が唯一であり、その他は鷹ノ巣尾根上の鞘口のクビレまでの記録が散見されるのみである。
松浦本にも2007年の記録が見られるが、やはり鞘口のクビレまでである。
今回あわよくば巳ノ戸ノ大クビレまでと思っていたがその結末は後ほど。
さらに稲村岩尾根を下り、稲村岩の基部から鷹ノ巣谷左岸にあった仕事道をたどり大ブナ尾根またはカイキ尾根を登ろうと欲張ったことも考えていたのだが。


足跡図
 ↓


1_2022120514285752c.jpg
日原川を渡る巳ノ戸橋
橋の太陽光パネルは、渡り口に設置された日原川の水位測量計のためと思われる


2_20221205142900eca.jpg
こんなのは序の口


3_20221205142902b88.jpg
左は鷹ノ巣谷を渡りネズミサス尾根へ向かう道
右の通せんぼが稲村岩尾根、巳ノ戸林道へ向かう道


4_202212051429029b2.jpg
右の通せんぼは巳ノ戸尾根、鷹ノ巣尾根へ向かう道


5_20221205142904f13.jpg
巳ノ戸沢に降り立つ


6_20221205142905c91.jpg

34_20221205143333a64.jpg
テープやケルンを頼りに沢中を進む


7_2022120514290729a.jpg
左岸に登山道が見えるが、先は崩壊しているので上がらず沢中を進む


9_202212051429109cd.jpg

11_20221205142935cc7.jpg
時間がかかります


12_20221205142937387.jpg
稲村岩尾根と巳ノ戸林道の分岐案内
手前方向が巳ノ戸林道だが削られている


13_20221205142938407.jpg
分岐標識の対岸にはジグザグに巳ノ戸林道が始まっている


15_20221205142943a59.jpg
790m圏の崩壊地を下から巻き、登り返してトレースに復帰する


16_202212051429437f7.jpg
崩壊地のすぐ先のワサビ田跡


18_2022120514294722b.jpg
こんなはっきりした山道も残されている


20_20221205143217361.jpg
940m圏にある松浦本にも出てくる3連の石積み堰堤


21_20221205143258caa.jpg
1050m圏の二又からシオジが密生する右俣に入る


23_20221205143304053.jpg
左岸の斜面に上がると土留めされた道型が残されている


24_20221205143303698.jpg
鞘口のクビレが頭上に見え緊張感も解け弛緩して歩いていると・・・


25_202212051433040ca.jpg
道を見失い4WDクワトロ歩行になることも


26_202212051433063d1.jpg
鞘口のクビレに到着


29_202212051433111a7.jpg
一段下がったところにある標識
「山道」方向が気になるが


27_20221205143308c21.jpg
巳ノ戸ノ大クビレ方向にある通行禁止の看板
巳ノ戸林道は水源巡視路だったのだろう


28_20221205143308e4e.jpg
この木橋はどう見ても渡れない
その先も剣呑な雰囲気が漂っている


31_20221205143329c91.jpg
やっと一般道に出た


32_202212051433307af.jpg
稲村岩尾根コースを廃道にしてしまうのはもったいないと思うのだが


奥多摩駅でM師と、一緒に下車してきた「奥多摩尾根歩き」子のM木さんとクルマで日原に向かう。
M木さんとお会いするのは、2019年10月の台風19号襲来直後の小川谷三又入山未遂以来である。
今日は、神庭沢左岸の支尾根から鳥屋戸尾根を登るそうである。
奥多摩バリエーションハイカーの2大巨頭とのドライブもわずかで、M木さんは川乗橋バス停の先で降車。

日原駐車場にクルマを停め、中日原バス停の先から通行禁止の看板を脇目に見ながら日原川へ降りていく。
巳ノ戸尾根への分岐を見送り巳ノ戸沢に降り立つ。
ここから3年前の台風19号で荒れ果てた稲村岩尾根コースを進む。
ケルンやテープが随所にあるので、それらを丹念に探しながら沢の中を右に左に登っていく。
左岸に元の登山道が見られるが、先で崩壊しているので沢中を進まなければならない。
730m圏が稲村岩尾根と巳ノ戸林道の分岐で案内板が立っているが、巳ノ戸林道方面は切り取られて判らないようになっている。
左岸にはっきりトレースが見え、M師が付けた細ロープで乗り上がる。
しばらくはトレースをたどるが大きな崩落地でそれも途絶え再び沢へ降りる。
以降は沢身や時々左右に現れる石積み道を進み1050m圏の二又に至る。
落葉しきったシオジが密生する右俣をしばらく進むと左岸斜面に上がるはっきりした山道に出てそれを進む。
判りづらいところだが、要所に赤(ワインレッド)テープがついていて助かる。
その後は鞘口のクビレへ向けてジグザグの急登を繰り返す。
巳ノ戸林道に入って約2時間半で鞘口のクビレに到着。
ここまでルートファインディング全開だった。
ほとんど沢中を進むので暑い日など稲村岩尾根コースよりよほど涼しくてイイコースなのに残念なことである。

鞘口のクビレには一段下がったところに古い道標が残っており、「巳ノ戸ノ大クビレ」「日原」「山道」の3方向を示している。
「山道」方向は、わずかに巳ノ戸谷(鷹ノ巣尾根を挟んで西にあるのが巳ノ戸谷、東にあるのが巳ノ戸沢、紛らわしい!)に降りるトレースが見える。
帰宅後調べると、「日原を繞る山と谷」(眞鍋健一著 朋文堂刊)に旧道として鞘口のクビレから巳ノ戸谷に降りる道が著されていた(ちなみに鞘口のクビレから巳ノ戸ノ大クビレへの道が新道)。
おそらく「山道」とはこれであり、今は多くが廃田となったワサビ田への仕事道であったろうと思われる。

さて、問題はこの先である。
巳ノ戸林道の完登としては巳ノ戸ノ大クビレまで歩きたい。
進入するとすぐに腐った木橋が連続する。
1本目はなんとか渡ったが2本目は完全に腐っており体重をかければ間違いなく折れ谷へ墜落である。
木橋を回避することも不可能なため諦めざるを得なかった。
またその先にも同様の木橋があるだろうことから巳ノ戸ノ大クビレまでは完全に廃道と言わざるを得ない。

気を取り直し、ひと登りで稲村岩尾根コースのヒルメシクイノタワへ出る。
登山道が開通していた頃は鷹ノ巣山への最後の登りを控え多くの登山者が一休みした場所だろう。
私たちもヒルメシをとり下山にかかる。
不通になった3年の間に登山道は落ち葉や倒木などで荒れてきておりテープが無いと判りづらい所もある。
1時頃登山者が1人登ってきた。
この時間にこの荒れた登山道を登ってきたことに少々驚いたが南側に下山するらしい。
1350m付近の大木が根こそぎ倒れたところがカイキ尾根の終了点、1150m付近の平坦地が大ブナ尾根の終了点と確認する。
稲村岩のコルから巳ノ戸沢に降り、再び荒れた沢をケルンやテープを探しながら下り整備された登山道に入るとロープが張られた場所に出合う。
ここが以前使われていた鷹ノ巣谷左岸の仕事道だろうか。
位置的にも合致する。
とりあえず1人で荷を置いて進入してみる。
けもの道程度の踏み跡をたどると二又になり、左へ下ってみる。
踏み跡は消えるが強引に下ると、パイプやアルミフレームが残された鷹ノ巣谷に降り立った。
上流に少し進むが先はもはや沢登りの用意がないと無理なレベルであり、大滝上のワサビ田へ村人が歩いた道ではあり得ない。
登り返し二又を右に水平にたどってみるが、こちらもすぐ先の崖で行き止まりである。
時間もおしてきたのでこれ以上の探索は諦め下山する。

いくつか当初の予定通りにはいかなかったがとても面白い山旅だった。
稲村岩尾根コースの整備の予定は無いようで、現在のままでは梅雨時や増水時には利用できないだろうし、巳ノ戸林道同様の廃道になってしまうには惜しい。
それは登山者や日原、西東京バスにとってとても残念なことである。
石尾根から日原側へ降りるコースとしても貴重なので是非改修されることを切に願います。

日原を出発し、しばらく行くと倉沢のバス停にM木さんを発見、5分前に降りてきたとのこと。
なかなかの奇遇にお互いビックリ。
日原街道入口でM木さんは下山祝い(アルコール)を買うために降り、M師と奥多摩駅で別れ、もはや紅葉シーズンも終わりガラガラになったもえぎの湯で汗を流し帰京した。



スポンサーサイト



0Comments